北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

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「皆が飛び込んでいる」と言われてから

2020.8.19

先週末に、厚生労働省より全国の自治体へ『ケアマネジャーの試験に合格した人が

受ける実務研修について、今年度に限り条件付きで実習の免除を認める』との通知

が出された。

 

今年の4月に当ブログで取り上げた『教育現場に携わる資質』でも強く訴えた通り

自分たちの病院や施設で新型コロナウイルス感染症が発生及び拡大しないようにと

必死に対策を講じている最中に、危険因子となる実習を受け入れることへの配慮を

実施主体に求めたが、大多数の声が上がるようになって、ようやく国が重い腰を

上げてくれた。

 

コロナ禍において、職場も教育現場もリモートや時差出勤(登校)など工夫して

対応しているのだから、同様の措置がとれるはずである。

 

第一波どころか第二波が中盤に来ている今頃になってのこの通知を見て、「厚生

労働省の皆さん!起きてますか?寝ぼけてませんか?」と言いたくなる。

 

何も、「何人たりとも病院や施設へ入れてはならない!」などと言っているわけ

ではない。かえって、未だに家族の面会を完全に遮断している病院や施設に対して

「思考が止まってる」という違和感を覚えるくらいである。

病状によっては、もう二度と家族と会えないかもしれないという人だっている。

創意工夫の中でできる限りのことはするべきだと思う。

 

だからこそ、『絶対に欠かすことができないこと』と『そうではないこと』をメリ

ハリをつけて対処するべきであろう。

 

通常時は、マニュアル通り、ルーティンに従って行動すればいい。

緊急時にこそ、思考し、創意工夫するのではなかろうか。

 

先日、こんなアメリカンジョークを聞いた。

『沈没しそうな船の乗客に対して、アメリカ人には「英雄になれるから」というと

飛び込む。フランス人には「飛び込むな」というと飛び込む。イギリス人には「紳

士は飛び込むものである」というと飛び込む。ドイツ人には「規則だから」という

と飛び込む。日本人には「すでに皆が飛び込んでいる」というと飛び込む』

 

「皆がやってるから!(やらないから!)」が重要な場面の判断根拠となって

しまうなんて、

思考しない、主体性がないのは、日本人全体の特性ということか・・・。

大根観察日記(その2)

2020.8.18

昨日、水やりや雑草取りをしようと伺ったら、

 

 

「葉が大きくなってる~」しかも「まばらだったものがほとんど芽が出てる~」と

一人で感動していると、畑の持ち主である好和興業の社長から「やれやれ」と言わ

んばかりの眼差しを受け、爆笑された。

 

日頃より畑に携わっている方から見ると、些細なことでいちいち感動している人を

見ると滑稽に思えることだろう。

しかも、毎日の畑の世話は同社長が行っており、私は空き時間に「ちょこっと」

顔を出す程度である。

 

それでもこれでも、この観察日記は続けよう。

「お上は正しい」は妄想領域

2020.8.17

「お上の言うことには疑問を挟まず、ましてや逆らうなどもってのほか」という

考えは、いい加減やめた方が良いように思う。

 

我々介護サービス事業者は、その報酬の大部分を税金や保険料から頂戴している

公益性の高い事業を運営していることもあり、介護保険法を厳粛に守ることが

求められる。

そして、定期的に行政による監査(指導)を受けることが義務つけられている。

 

そのためか、行政からの指導や助言に疑問を挟まず、内容の如何を問わずにその

まま受け入れてしまう習性?があるように思う。

 

『お上』は、時の権力者や政治行政の執行機関を指す場合に使われる言葉であるが

その立場にいる者は、所詮平凡な人間であり、神様でも聖人君主でもない。

 

当ブログの『裸の王様たち』でも取り上げたとおり、

人間は誰しも煽てられると木に上るものである。

そして、上から下の者たちを見下ろすのである。

 

先日、当方の事業所宛に『財務省予算執行調査への協力のお願い』のメール文書が

届いた。

その依頼文書には、使用目的は全く記載されておらず、抽出された当該ご利用者の

抽出根拠も全く示されていなかったため、担当者へ問い合わせてみたが、明快な

回答は全く得られなかった。

 

時の権力者たちは、自分たちにとって都合の良い結論を導き出すために、偏った

データを集積し、時にデータを改ざんする。

 

「お上はうそをつかないし、間違ったことはしない」という発想は、幻想を通り

越して妄想に近い。

時の権力者たちは、うそをつくし、間違ったこともする。自分が偉くなったと勘違

いしている人であれば、よりその傾向が強く出る。

 

過去の政治行政にかかる事件や悲惨な戦争は、このようにして起こり、そして

繰り返される。

先週末に執り行われた終戦記念にはせた思いを常に持ち続けてもらいたい。

 

使用目的や抽出根拠を示さない、こういった調査依頼にもろ手を挙げて協力する

必要など全くない。

我々は、地域住民や市民、ひいては国民の健康維持や福祉的支援ために職務に従事

しているのであって、行政マンの欲求を満たすために働いているわけではない。

大根観察日記(その1)

2020.8.14

当ブログで紹介している『大麻地域創造会議の食を通じて活動の輪を広げよう!』

の企画内で始まった大根づくりは、今月の10日に種まきを行うところから開始

された。

 

昨日、水やりや雑草取りをしようと伺ったが、種まきから3日しか経っていない

ので、畑は閑散としていた。

 

と思ったら、よく見ると小さな葉が出ていた。

数十年ぶりに童心へ戻ったようなワクワク感があった。

 

やっぱり土はいい!

コロナ禍で荒みかかっている心を癒してくれる。

 

今後もこの観察日記をつけていきたいと思う。

コンプライアンスの欠片もない専門職

2020.8.13

少し前の話になるが、耳を疑うような出来事があった。

 

入院中のご利用者のご家族から「見ず知らずの人が、父の病室にいきなり来て、

退院後の支援を行う者ですと言って自己紹介してきた。」との連絡を受けた。

 

退院後の支援を当方のサービス事業所に依頼することとしていたご家族は当初、

突然訪れた人が当方の関係者なのかと思って対応していたら、全く関係ない人で

あることが分かりびっくりしたと同時に怒りが込み上げてきたそうである。

「なんで、父のことを見ず知らずの人が知っているのか!」

 

状況がいまいちつかめなかったため、関係者である医療機関へ経緯を確認すると

独立して新規に介護サービス事業所を立ち上げた者が、営業の一環で医療機関を

訪問した際に聞きつけた情報を使って、直接ご利用者のところへ売り込みに行った

とのことだった。

 

事業を立ち上げて間もない状況で、顧客確保を必死の思いで行うことは理解でき

ないわけではないが、社会的ルールや職業倫理を大きく逸脱する行為である。

 

それよりも問題と感じていることは、「たまたま患者情報を取り扱っているところ

へ居合わせた人が勝手に患者のところへ行ってしまった」と悪びれることなく状況

の説明を行う医療機関の態度についてである。

 

「たまたま患者情報を・・」などと言っている時点で、個人情報を守る責務を

感じていないことは明らかであろう。

コンプライアンスの欠片もない専門職は一刻も早く、我々の現場から立ち去って

もらいたいものである。

 

本件は、個人情報の漏洩であり、歴とした法令違反である。

ご家族は損害賠償請求の訴えを起こすこともできたが、後々のことなど色々と

考えた結果、行動を踏みとどまることとした。

 

コンプライアンスは、『法令遵守』と日本語訳されるが単に法律を守るというだけ

の意味ではない。

社会的規範、道徳的規範、職業倫理を守るという意味も持っている。

 

職業倫理を持たない専門職は、もはや専門職ではない。

 

無事でありますように

2020.8.11

今日の午前中に、担当のご利用者が道端で倒れているところを発見され救急搬送

されたとの一報を受けた。

 

このことに関しては、色々と話題にしたいことがある。

 

このご利用者、自分で運転していたスクーターごと転倒していたとのことだった。

本人と担当医や介護サービス事業者、家族との話し合いで、身体機能面や病状から

再三にわたってスクーターの運転をやめるように本人へ勧めていた。

そういった周囲の勧めにご利用者は、「誰かに迷惑をかけているわけじゃない

からほっといてくれ」と返答していた。

特段、認知症状が進行しているわけではないこのご利用者に対して強制的に運転を

やめさせる法的手段はない。

警察による現場検証で『単独事故』ということが分かり、不幸中の幸いであったが

人をケガさせたり、物を壊したりしなければ、「人に迷惑をかけてない」とは言え

ない。高齢者に限ったことではないが、責任を持った行動とはどういうことかを

今一度考えてほしい。

 

それから本件が私のところへ伝わった経緯が、同業者が偶然通りかかって第一

発見者となり、救急車の手配と同時に身分証の確認を行ったうえで、地域包括支援

センターへ問い合わせて、同センターから私のところへ連絡がきたことである。

 

発見してくださった方々の迅速かつ正確な対応には感謝とともに感心した。

また、迷子になった高齢者の早期発見の際にも活用される同様の情報網システムが

今回についても有効に機能している。

おかげで、警察の現場検証に立ち会うこともできたし、家族へ速やかに一報を

伝えることもできた。

江別市では、個人情報の保護と緊急時の情報共有が上手に使い分けできていると

実感する。

 

それにしても、このご利用者の安否にかかる情報がまだ入ってきていない。

無事であることを祈りつつ、家族からの連絡を待つこととしたい。

大麻地域創造会議(大根づくり編その3)

2020.8.10

今年のテーマ『食を通じて活動の輪を広げよう!』の企画がいよいよ始動した。

 

10月中旬に収穫するための種蒔を本日早朝に行った。

 

今回の作業は、屋外の活動とはいえコロナ禍のご時世、広く協力してくださる方を

募集せずに少数精鋭で行うこととした。

 

精鋭の一人は、当会議にもご出席いただいている地区民生児童委員の会長!

 

慣れない手つきの『へっぴり腰』で私も参戦した。

やっぱり、土はいいなぁ〜。心が安らぐ。

 

また、近況を当ブログでお伝えしていきたい。

取りにくい加算を作るのはもうやめて!

2020.8.7

3年に1度見直しが行われている介護報酬の制度改定が、来年4月に施行される。

コロナ禍にあって、審議が停滞傾向にあったが、先月あたりから話し合いの場が

活発化してきている。

 

先月の社会保障審議会・介護給付費分科会の内容に対するヒアリングが今月3日に

実施されたが、個人的に気になっているのは『生活機能向上連携加算』の取り扱い

についてである。

 

前回(平成30年、2018年)の改定で、通所介護事業者へ門徒が開かれた

同加算は、ご利用者が在宅生活を末永く過ごす上で必要な生活機能の向上を図る

ことを目的として、医療機関等に所属する理学療法士等のリハビリスタッフからの

助言をもらいながら、共同で介護計画を作成した場合に算定できる。

 

通所介護事業者にはリハビリスタッフが配置されていないことが多く、身体機能に

かかわる専門的視点が弱いことから創設された同加算は、ご利用者にとっても意義

のあるものであるはずだった。

しかし、同加算を算定している通所介護事業者は全体の3%程度しかいない。

 

とても良い物なんだから、多くの事業者が算定できるように制度設計するべきで

あろうが、そこは物事を深く考えることができず世間一般の常識が欠けている厚生

労働省、そして加算は「取りにくく設計する」という歪んだ思考を持つ官僚が

なせる業である。

 

同加算を算定したい通所介護事業者から依頼を受けた医療機関は、無償でリハビリ

スタッフを派遣しなければならないため、同一法人や関連法人などの結びつきでも

なければ、派遣することは難しいであろう。

ただ働き前提で、多くの医療機関が賛同すると本気で思っているのか厚生労働省!

また、対象となるリハビリスタッフは、医療機関や同併設の介護サービス等の医者

が配置あるいは深く関与している事業者に限られていることも算定率を下げること

につながっている。

 

リハビリスタッフは、上記に挙げた場所にしかいないわけではない。

当方が運営する訪問看護ステーションには、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士

を総勢5名配置している。

「リハビリスタッフは病院にしかいない」とでも思っているのか厚生労働省!

 

在宅における生活機能向上に精通している同リハビリスタッフを使わずしてどう

するんだ。病棟にいるリハビリスタッフよりもよっぽど機能すると思う。

 

今回の審議では、「取りやすい設計」を強く望む。

裸の王様たち

2020.8.6

「なんで、先生と名の付く人たちは、こうもエラそうな態度をとるのか」という

話題をよく耳にする。

その疑問への答えはいたって簡単である。

周囲がそういった『先生』を崇め奉り、煽てるからである。

 

ではなぜ、周囲はそういった態度をとるのかというと、『先生』の多くは特殊な

技能や知識、権力や権限を持っていて、それらは人々の生活や生命に直結するから

であろう。

 

人間は誰しも煽てられると木に上るものである。

そして、上から下の者たちを見下ろすのである。

 

私が今まで出会った『政治家、医者、弁護士』は、特にこの傾向が強い。

そして、その『先生』たちは、崇め奉られていても、「尊敬」されていないことに

は気が付いていない。

 

技術や知識、常識や道徳心が著しくかけている『先生』などには、手を合わせて

ありがたがる必要など全くない。ましてや、「生涯同じ先生に」などと思う必要も

ない。

 

あくまでも私見ではあるが、殺人を嘱託したALS患者だった女性は「尊敬する

先生」だからお願いしたのではないだろう。自分の思いを遂げてくれる人で

あれば、看護師だろうと事務員だろうと誰でもよかったのではないだろうか。

 

その根拠として、ALS患者だった女性はその医者へ多額の報酬を支払っていたこと

が後日明らかになった。

『お金で解決する尊敬』など、どんな理屈を唱えても無理がある。

 

それにしても、『間抜けな先生』を煽てて、いいように使っている下々の者の方が

「したたか」なのかもしれない。

一億総中流社会は幻

2020.8.5

『格差是正』の発想は、決まって平均以下の者から生まれる。

 

平均以上の者が、平均となるためには自分を落とさなければなれないので、

自ら進んで平均を目指す者はそうそういないだろう。

「金持ち喧嘩せず」とは、そういった発想から生まれたことわざではなかろうか。

 

そうすると、平均以下の者が平均を目指して自分を高めればよいと思うのだが中々

そうはならない。自力ではどうすることもできない『決定的な外的要因によって

努力を阻まれる』こともあるだろう。

 

しかし、そういった状況ではなく、平均を目指すことができる環境下にありながら

あえてそれを目指さない者たちもいる。

その者たちは、「面倒だから。失敗したくないから。今のままで満足だから。」と

いう。

 

「満足しているならいいか」と思いがちであるが、その実は違っていて、平均以上

の者への憎悪とも受け取れる凄まじい嫉妬心で溢れかえっている。

そして、自分はさして努力もせず、平均以上の者たちを何とか引きずりおろして、

平均値を従来より下げようと躍起になる。

勤勉なものを何とかして堕落させよう、失敗させようとすることばかりに労力を

払うのである。

巷で話題になっているネットによる誹謗中傷などもその類ではなかろうか。

 

平均値が下がれば、低いままの自分が救われるとでも思っているのだろうか。

 

一昔前の日本では、『一億総中流社会』と表現する声があった。

「皆が平均的な生活を営んでいて、格差などない。」と信じたい者たちの願望が

うかがえる。

 

しかし現実は、「金持ちは喧嘩してでも、自分の富や名声をさらに高めようとして

いる」ため、格差の広がりはとどまるところを知らない状況になっている。

 

人の足を引っ張るだけの能力や気力、体力があるのなら、

自ら平均値を上げるよう努力し、結果が出た暁には、『決定的な外的要因によって

努力を阻害されている者』へ支援の手を差し伸べる方が『格差是正』につながる

のではないだろうかと思ったりする。